くぼちゃんち

実体験と心理学を中心に描く、くぼちゃんの備忘録

子供の教育で大切なことは「人に迷惑をかけるな」ではないと思う

私が2足歩行で「アーッ」としか喋ることができなかったあの頃から、社会に溶け込むように馴染んでいく今に至るまで本当にたくさんの人に支えられてきました。

 

支えられた数だけその相手に迷惑をかけてしまった、と言えるかもしれません。

 

 

「迷惑をかけるな」

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子供のときに人様のことなど考えず、目の前の好奇心に揺さぶられ夢中になっているときに親や大人からこんな言葉を頭から浴びせられた記憶があると思います。

 

 

もちろんその言葉は「正しい」以外の何物でもありません。

夢中になりすぎるあまりにいろんな危害を加えてしまうかもしれませんし、うるさいと親が怒られてしまうケースだってあるからです。

 

 

しかし、子供の教育においては「迷惑をかけるな」ということは一概にも「正しい」とは思えないのです。

 

 

「迷惑」というのに一定の境界線がありますが、何でもかんでも子供にその言葉はあまりにも無防備だからです。

 

 

今回は子供の教育において、「迷惑」にピントを当てて私が感じる大切なことをシェアできたらなと思います。

 

迷惑はかけてしまうもの

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子供の頃はやたらと親や大人に「迷惑をかけるな」と言われてきた記憶があります。

 

それでも当時は「自分のやりたいこと」に夢中になったり、後先考えず行動したものです。

 

きっと私が楽しんだり満足した影に、迷惑でしかたがなかった人たちもいると思います(当時のあの頃にごめんなさい)。

 

これからの文は、初めて見る読者には“開き直っている”ように見えてしまいますし、語弊を招く恐れもありますが言ってしまいます。

 

 

 

私は迷惑はかけてしまうものだと感じています。

 

 

 

人が人と関わっていく上で、誰かが何かをするときは必ず誰かが何かを我慢しなければなりません。

 

人と人が支え会う場面で、「迷惑をかける」ことを避けることは不可能なのです。

 

迷惑をかけるからこその“○○”

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「じゃあ、迷惑をかけるのは仕方ないからそのままにしろと?」

 

 

そうではありません。

 

逆に考えてみるんです。

 

子供たちが何かをしていく上で「迷惑をかけてしまう」ということに気がつけば、言動や行動は変わっていきます。

 

「迷惑をかけるからこそ、迷惑をかける分相手に感謝し恩返しする」

気持ちを子供に持たせることが大切だと感じます。

 

 

「迷惑をかけるな」という考えではなく

「迷惑はかけてしまうものだから、その分相手がやってくれたことに対して感謝し、相手が困っているようなら手助けをする」という考えです。

 

そもそも20代の私でさえ誰かに「迷惑をかけている」わけで、まだまだ発展途上の子供たちにそんな言葉を伝えても迷惑をかけないようにすることはできません。

 

 

「迷惑をかけるな」を使うとき

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子供たちにただ単にこんな言葉を使っても理解する子供たちは少ないように感じます。

 

子供に言い聞かせるときは、

子供に“なぜそれが迷惑なのかを「自分という存在」に例えてあげること”が必要だと思います。

 

自分の立場だったら嬉しいのか嫌なのかを子供自身が見つけ出すことができ、“相手のことを考える能力”が培われて自然と客観的に物事を考える力がつくからです。

 

 

考え方、視点の切り替え

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人は誰かと関わり合う上で必ず誰かに迷惑をかけています。

 

もしも「私は誰にも迷惑をかけていない」と思っている人は、少し視野を広く持った方がいいかもしれません。

 

子供のときに親や大人から何かと言われてきた言葉ですが、私が大切だと感じることは

 

自分が選択した先をどうするか考えていくように、迷惑をかけた後どうするかを教えてあげることです。

 

 

教育は環境にも左右されるのでこの方法が誰にでも合っていることは無いですが、もしもどなたかの教育の参考程度になれば幸いです。